高松高等裁判所 昭和49年(う)210号 判決 1974年10月29日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、記録に綴つてある弁護人佐野孝次作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用し、該控訴趣意に対し次のとおり判断する。
一控訴趣意第二点(事実誤認の主張)について。
所論は要するに、事故直前の被害者の動静について原判決が、当時四軒家忠儀が、原判示交差点東詰めの横断歩道上付近を南から北に向つて自車進路の方向に歩行していた旨認定したのは事実誤認であり、右事実を認定するに足る証拠は全然なく、被害者の当時の行動は判然せず、むしろ被害者は、当夜(三月二二日)一二時頃まで飲酒し、血液一ミリリットル中1.23ミリグラムのアルコールを保有する状態で高松市瓦町の割ぽう店から同市香西本町の自宅まで帰る途中、本件交差点付近でタクシー会社に寄るなどして、タクシーをさがしていた事実が認定できるのであるから、折から本件交差点に向つて東進してくる被告人の空タクシーを発見した同人は、これに乗せてもらうべく、酩酊のためその危険に気づかず、いきなり道路中央に飛び出して行き、そのタクシーの前面に立ちふさがつたと考えられるのであり、もしこの事実を前提とするときは、仮に被告人が時速五〇キロメートルの制限速度を遵守していたとしても衝突を避けることは無理であり、被告人には過失の責任がなく無罪であるといわなければならない、というのである。
よつて記録を調査し、当審法廷における被告人の供述をも併せ検討するに、被告人は、衝突地点の約二八メートル西方(実況見分調書第二見取図①点)で本件交差点の北東端にある信号を見たのであるが、その際同交差点北から南進し、交差点手前停止線に停止していた平木文雄巡査運転のパトカーをも認めたのであるから、もし被害者が北側の歩道に立つていたり、同歩道から道路中央部へ移動していたならば、当然被告人はそれをも目撃しているはずであるのに、何らそのような物を見た形跡がない。また本件事故は、被告人車の右前部と被害者の身体の右側とが衝突して起つたものと考えられ(被害者の右手背擦過傷、右大腿打撲擦過傷、右下腿複雑骨折等の傷害から同人の右側に当つたものと考えられる。)、それによると被害者は衝突現場で西方ないし西北方(被告人車の来る方向)を向いていたものと考えられる。さらに前記のように、被害者は瓦町から歩いて本件交差点に来たものと考えられるので、その地理的関係から言つても本件道路の南側歩道を歩いて交差点にさしかかり、西方から東進してくる被告人車を認め得る南側歩道から、横断歩道に沿つて衝突地点の方へ移動したものであると考えるのが自然である(なお被害者が寄つたと思われる五番丁タクシーは本件道路の南側にある。記録五七丁)。そして実況見分調書における被告人の指示説明その他関係証拠によれば、被告人が衝突地点の一六メートルあまり西方(上記見取図②点)で被害者を発見した時から衝突時までの間に、被害者は移動しておらず、立ち止つたままであつたことが認められるので、これら諸般の情況を総合して考えると、被害者は、被告人に発見される以前に、本件交差点の南東の歩道から移動して衝突地点付近に進出して立ち止まり、被告人車の方を見ていたものと考えられ、当時深夜で交通が閑散であり、かつ前記のように相当飲酒酩酊していたため、信号機のことには気がつかず、南側から北側車道に向つて進出し、同車道を走行してくる被告人の空ハイヤーをとめ、乗車しようとしたのではないかとの推測も十分可能といわなければならない。ところで問題は、被害者は右移動に際し、論旨のいうように秒速五メートルもでとび出したものか、普通に歩行して行つたものかの点であるが、この点確たる証拠はないものの、被害者が五六歳の高校教師であり、相当酒に酔い、かつ、つかれた状態で急に走り出すという元気があつたものとは考えられず、よほど急いだとしても原判決のいう秒速一メートル6.70センチメートル程度ではなかつたかと考えられる。いずれにしても本件交差点の南東隅附近の歩道に対する西方車道からの見とおしは極めて良好であり、同所において赤信号を無視して横断歩道を渡ろうとしている者があれば、相当遠方からでも見える筈であり、急に物蔭から飛出したという状況でなかつたことは明らかである。もつとも当時同所には照明設備がなく暗かつたということであるが、被告人の前照灯の照射距離は四〇ないし五〇メートルであるから、被告人が前方注視さえ怠らなければ、もつと早期に被害者の動静を発見してその危険を予知し、これを回避するため有効適切な措置がとれた筈である。
以上の次第で原判決のいわゆる「歩行していた」とする「歩行」が、どの程度の速度のものか不明の点はあるけれども、いまだ判決に影響を及ぼす事実の誤認があるとまではいえず、論旨は結局理由がない(以上の事実関係についての証拠<略>)。
二控訴趣意第一点(法令適用の誤り)について。
所論は要するに、本件は、信号機による交通整理の行われている交差点における横断歩行者と被告人車との間に起きた衝突事故であり、かかる場所においては、歩行者といえども信号機の表示に従つて横断すべきであり、自動車運転者は、歩行者は赤信号を無視して横断歩道上に出てくることはないものと信頼して運転すれば足りる。従つて自動車運転者としては単に信号機の表示に従つて運転すれば足り、それ以上に過重な注意義務を課せられるものではない。しかるに原判決は、対面信号機の表示に従つて進行しただけでは、まだ注意義務を果したことにはならないとし、対面信号機の青の信号に従つて走行した被告人に対し過失責任を負わせて有罪としているので、原判決には法令の解釈適用に誤りがあり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、とうていその破棄は免れない、というのである。
よつて検討するに、論旨は本件に対し、いわゆる「信頼の原則」の適用を主張するものである、と考えられるところ、もともと自動車の運転には危険がつきものであり、一瞬の前方不注視から大事故を起した事例も多く、俗に自動車を目して走る凶器、走る棺桶などと言われる所以もうなずかれるのである。従つて自動車運転者には高度の注意義務が要求されるが、特に前方注視義務は、自動車運転の際の注意義務としてもつとも基本的なものであり、これにより自車の進行方向の正常が保たれ、また進路前方における障害物の有無が早期に確認され、障害物に対する危険の回避を可能とするのである。そして運転中進路前方を注視することは運転者にとつて決して過重な負担ではない。
一方道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ること等を目的として、自動車運転者その他の交通関与者に対し、同人らが道路を通行等に利用する場合に遵守すべき事項を詳細に規定し、かつ罰則を設けていその励行を期しており、これら交通関与者が互に交通法規を遵守する限り、通常は事故は起らないものと考えるとともに、自動車運転者としても、他の交通関与者もこれら交通法規を遵守するものであると信頼し、自己において交通法規に従い運転するかぎり通常事故は起り得ないから、そのような運転態度を維持するかぎり自己の業務上の注意義務も果されていると考えるのが普通であるように思われ、またそのように考えても無理ではないと思料される。そして一般的に言つて、右のような信頼の下に自ら交通法規を守り運転したのに、予期に反し相手方が交通法規に違反する異常行動を行い、よつて事故が発生したような場合には、右信頼の下になした運転者の行動は、社会生活上相当なものとして評価され、過失責任はないものとされるであろう。
しかし右は一般的にそうだというのであり、勿論交通法規違反の問題と過失の有無の問題とは別個であり、いわゆる信頼の原則にも限界があるから、右原則を適用し得る場合であるかどうかは、事案毎に具体的事情を精査し、具体的事情に応じた運転者の行動が社会生活上相当であるかどうか、により決定されるべきものと考えられる。
ところで本件における被害者四軒家忠儀の当時の行動、事故現場の見とおしの状況等については、さきに認定したとおりであり、他方被告人の行動については、関係証拠によると、被告人は、原判示記載のとおり、本件交差点の西方かなり手前(被告人は5.600メートルと表現している)で同交差点の信号機が青色灯火になつていたことから、自車が同交差点を通過するまでに黄色灯火に変るのではないかと懸念し、右信号機の方に気をとられ、進路右前方に対する注視を欠いたまま、公安委員会が定めた最高速度五〇キロメートル毎時の速度を超過した時速六五キロメートルでひたすら進行したものであり(被告人は本件交差点の信号が青色から黄色に変らないうちに同交差点を通過したいとの願望に支配されていたものと推測できる)。、しかも被告人は前照灯を下向けにしたまま走行していたものである。
そこで考えるに、なるほど被害者は、自己の対面する信号機の信号が赤色を表示しているさなかに、本件衝突地点に立つていたものであるが、そこに到達するまでの過程は、少くともいきなり飛出しで来たというような状況ではなく、むしろ普通の歩行であつたと考えられ、右同人の行動は、被告人の進行方向からよく見えた筈であるところ、被告人は右のように相当長距離に亘り右前方に対する注視を欠いたまま高速進行をなしたものであり、被告人に対し右前方に対する注視義務を認めたからといつて格別過酷な要求とも考えられず、この軽易な注意により容易に被害者をもつと早期に発見できたと考えられ、また深夜交通閑散に気をゆるし、バー等で夜ふかしした歩行者が赤信号にもかかわらず横断歩道を通行すること等は必ずしも全然予期し得ないことではなく、その他最初に述べたように前方注視が運転者にとつて基本的な義務であること等諸般の事情に照し考えると、本件に対し信頼の原則を適用することは相当でない、と考えられる。従つて本論旨も理由がない。
三控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について。
所論は本件が仮に有罪としても原判決の量刑は不当であり、赤信号無視の被害者の過失等を考えると、本件については罰金刑が相当である、というのである。しかし被告人の当時の運転態度や、被害者の死亡という結果の重大性等から考え禁錮刑の選択もやむを得ず、刑の執行も猶予されているので、原判決の量刑を不当に重いものとすることはできない。
以上のとおり論旨はすべて理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により、主文のとおり判決する。
(小川豪 宮崎順平 滝口功)